PLHニュース・トピックス

2025.10.02

お知らせ

【日本学術会議】公開シンポジウム「環境リスクと正義」報告

公開シンポジウム「環境リスクと正義」が2025年3月21日に開催されました。主催は日本学術会議環境学委員会・健康・生活科学委員会合同環境リスク分科会と第95回日本衛生学会学術総会で、後援はプラネタリーヘルスアライアンス日本ハブでした。プラネタリー・ジャスティスについての基調講演に続き、パネルディスカッションを行いました。

趣   旨

 環境リスクについて、人と生態系への影響を含めた科学的エビデンスにより精査し、社会合意に基づき意思決定します。この社会合意に至るプロセスには、科学的知見だけでなく、人文・社会科学との連携が必要であると認識されています。本シンポジウムでは、環境リスクの意思決定に関わる様々なステークスホルダーとの議論を育成するという目的のもと、「環境正義」をテーマとしました。環境リスクによる人や生態系への影響は、特に社会的・経済的に弱い立場人々がより深刻である可能性があります。環境正義では、このような、世界各地の貧困や格差など、公正性を阻む要因について考えます。このシンポジウムでは、人文科学的な背景も踏まえ、環境正義について議論いたしました。

座   長

上田 佳代 氏(北海道大学大学院医学研究院教授)

中村 桂子 氏(東京科学大学大学院医歯学総合研究科教授)

プログラム

開会挨拶・趣旨説明 中村 桂子 氏

基調講演「プラネタリー・ジャスティス」

宇佐美 誠 氏(京都大学大学院地球環境学堂教授)

パネルディスカッション「プラネタリーヘルス、環境リスク管理の視点から」

〇ベトナム山岳地域における気候変動と健康

鹿嶋 小緒里 氏(広島大学IDEC国際連携機構プラネタリーヘルスイノベーションサイエンスセンター(PHIS)センター長/広島大学大学院先進理工系科学研究科准教授)

○プラネタリーヘルスダイエットへの取り組み

春日 文子 氏(長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科/プラネタリーヘルス学環教授)

○国際的な化学物質管理

藤井 健吉 氏(花王株式会社研究開発部門研究主幹/研究戦略・企画部部長)

閉会挨拶 橋爪 真弘 氏 (東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学教授)

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

趣旨説明に続き、基調講演および話題提供があり、パネルディスカッションで意見交換が行われました。以下に、講演や話題提供、および議論の概要についてご報告いたします。

基調講演 「プラネタリー・ジャスティス」

宇佐美 誠

 人類の健康は動物の健康や自然環境の健全さと緊密に結びついており(ワン・ヘルス)、また人間活動が地球環境に重大な影響を及ぼしつつある一方で、地球環境は人間の健康を大きく規定する(プラネタリー・ヘルス)。ここから一歩進んで、人類全体からその内部に目を移すならば、北側諸国と南側諸国の間にある巨大な健康格差を否定できない。また、気候変動に着目すると、大規模化・頻発化が進む気象災害の被害は、地球規模では南側諸国に、各国内では貧困層や人種的・民族的少数派などの周縁化された集団に顕著に生じている。他方、気候変動を引き起こす温室効果ガスの排出量は、世界的には北側諸国に、各国では富裕層に大きく偏ってきた。つまり、温室効果ガスの大量排出を伴う化石燃料依存型経済からの便益と、気候変動による被害という負担の双方について、地球レベルでも国内レベルでも分配の大きな歪みがある。ここに、便益・負担の分配の正しさという分配的正義の問いが立ち現れる。

 分配的正義を出発点として、本講演では、気候変動の文脈において健康と環境をめぐる正義について論じた。まず、温室効果ガスの排出の南北格差・国内格差と、気候変動からの被害の南北格差・国内格差について、最近の研究成果や調査結果を参照しつつ確認した。次に、日本では人口に膾炙している「正義は人によって異なる」と強調する言説は、社会の現状を改善することを妨げる機能をもつことを指摘した。そして、アメリカにおいて環境人種差別への抗議として行われてきた環境正義運動を紹介した上で、環境正義が分配的正義・手続的正義・承認的正義からなるという標準的な三元論を批判し、矯正的正義を加えた四元論を提案した。続いて、排出・被害の南北格差・国内格差を批判する気候正義運動と、地球規模での排出権分配や北側諸国の歴史的排出責任を理論的に解明する気候正義論を素描した。これらを踏まえて、プラネタリー・ジャスティスの概念を提案した。より具体的には、適応策の後もなお生じる健康・安全上の損失と損害に対して補償策が必要となるため、分配的正義に加えて矯正的正義も重要となる。また、緩和策・適応策・補償策の意思決定過程に、途上国や各国内で周縁化された集団が十全に参加できるよう求める手続的正義や、周縁化された集団がもつ尊厳や差異を尊重する承認的正義も要請される。誰一人取り残さない諸政策の指導理念として、プラネタリー・ジャスティスが求められる。

講演「気候正義:ベトナム北部山岳地域におけるプラネタリーヘルス研究」

鹿嶋 小緒里

 私たちの日々の生活は、地球の気候に影響を及ぼしている。そしてその気候変動による健康影響は国境を越えてインパクトを与え、その中でも特に環境から影響を常に受けやすい地域で、その被害がより大きいことが報告されている。2024年にUAEで行われた国連気候変動枠組み条約による第28回締約国会議(COP28)においても「気候と健康に関する宣言」がとりまとめられ、「影響を最も強く受ける人々との連携の重要性」が明記されている。しかしながら、これら脆弱な地域は、都市部から遠く離れ、また天候によって基幹道路が遮断されるなど、アクセスが通常においても困難な地域である。これら地域においては、気候変動から実際にどのような影響が起きているかは、その多くがアクセスの困難性からも明らかではない。我々の日々の生産活動が気候変動へ影響をもたらしていることは、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告でも「明らか」であり、今この瞬間の日本における私たちの行動が、地球規模の気候変動へつながり、そして、気候変動が、私たちの見えていないところで、多くの健康影響をもたらしている可能性がある。これらの課題の中、我々は、現在このまだ明らかになっていない脆弱な地域への影響を明らかにすべく、ベトナムの少数民族が多く暮らす北部山岳地域(ハザン省)での気候変動の影響調査を実施している。この研究を通して、急激な気候の変化によって、対象の山岳地域では特に水環境の変化が深刻である旨が示唆されている。そして、この水不足によって、穀物の収穫にも影響が出ている。これらの地で起きている影響は、私たちの日々の生活とも関係していることを、私たちは直視しなければならない。これら起きている影響をさらに世界の人々と知見を共有していくためには、研究者はさらに様々な地域で定量的にリスクを評価するためのさらなる研究が必要であるこ。加えて、世界規模でバイオレーションを起こしている、この「気候正義」について、プラネタリーヘルスの視点からさらなる議論の必要がある。そして、これら世界で起きている影響へ協力して立ち向かうためには、「見えない課題に共感およびイマジネーションできる力」が重要であり、そのための教育が必要であり、そのための教育・研究者ネットワーク構築等の必要性について、本ディスカッションを通してとりまとめられた。

講演「プラネタリーヘルスダイエットへの取り組み」

春日 文子

(共同発表者)増野 華菜子、昔 宣希・近藤 智恵子・小坂 理子・清田 智子・渡辺 知保

 世界の温室効果ガス排出の21-37%をフードシステムからの排出 (2007-2016年値) (IPCC Special Report on Climate Change and Land (2019))が占めている。特に、温室効果の高いメタンは、農業と廃棄物部門から最も多く排出されている (Global Methane Budget 2010-2019 by Global Carbon Project (GCP))。一方、フードシステムからの温室効果ガス排出の40%は、社会文化的要素(バランスの良い持続可能で健康な食への転換、食品廃棄の削減、食品過剰消費の抑制など)により削減可能と推測されている  (IPCC AR6 WG3 SPM Figure SPM6 (2022))。

 The Eat Lancet Commissionは、健康的な食事と持続可能な食料生産をターゲットとする5つの戦略を公表した(The EAT-Lancet report (2019))。我々はこの戦略をさらに発展させたいと考えた。

 長崎大学では、2020年より全学を挙げてプラネタリーヘルスの研究・教育に取り組んでいる。その一環として、長崎大学が考えるプラネタリーヘルスダイエットを提案し、社会の様々な立場の人たちと共に実践することを目的に、「プラヘル飯(めし)プロジェクト」を開始した。そこでは、①“健康や栄養面で良い”だけではなく、食材の生産から提供に至る過程でのカーボンフットプリント等の環境負荷および児童労働等労働環境や人権に関する指標も評価とすること、②1食のメニューだけではなく、1日や1週間など、一定期間に提供される食事の組み合わせに対する提案をすること、③世界全体の平均値からではなく、和食のフードシステムをベースとして現在の環境負荷レベルを再確認し、今後目指すべきプラヘル飯を提案することを、考え方の基盤としている。

 2025年1月にイオン大村ショッピングセンターで開催したイベントでは、買い物客や地元芸人も加わり、地球規模の気候変動について知見を共有するとともに、メニューによる栄養計算値と二酸化炭素排出量の違いを比較した。会場では、さらにアンケートにより消費者の意向を理解し、また家族連れの客と一緒に、未来のプラヘル飯のアイディアを描いた。アンケートでは、日々の食事の買い物をする際には、健康への影響の方が食材の環境負荷よりも高い関心を持たれていることが示された。

 今後、①~③の指標を科学的に構築しデータを収集するとともに、プラヘル飯の実践的提案に向けて研究を進めたい。

イオン環境財団、イオン九州株式会社ならびにイオン大村店の皆様に感謝申し上げます。

講演「グローバルな化学物質管理とサステナビリティの志向性」

藤井 健吉

 Society 5.0とは、日本政府が提唱する目指す社会のコンセプトで「超スマート社会」とも呼ばれる。これは、Society 1.0(狩猟社会)から始まり、2.0(農耕社会)、3.0(工業社会)、4.0(情報社会)に続く5番目の社会の形(ウェルビーイング社会)である。その特徴には、「課題解決型社会(高齢化・環境問題など、既存の社会課題を技術で克服)」が挙げられている。今回のシンポジウムでは「環境正義・環境リスク」を日本学術会議環境リスク分科会の有志で考える。様々な論点があるが、本論ではSociety 5.0の実現に向けた課題解決型アプローチで考えてみたい。

 まず、日本での事例として、花王と産業界の取組みを短く紹介する。花王は「もったいないをほっとけない」を合言葉に、使用済みプラスチック容器の削減と循環利用を通じたサーキュラーエコノミーの社会実装を推進してきた。家庭用品の詰め替えやコンパクト化、「ラクラクecoパック」や「スマートホルダー」といった商品包装を刷新するイノベーションの社会実装により、1995年から2024年の約30年間で容器包装のプラスチック使用量を累計76%削減した。これは「詰め替え商品を選択する」という日本の消費者の行動変容を伴った、日本特有の社会変化の事例でもある。循環型社会の視点から、詰め替え容器の回収・再資源化についても、花王と国・自治体・流通・NPO・学術機関との多様な連携による社会協働システム(リサイクリエーション)の構築を進めた。資源・環境リスクを解決する試みの一つとして紹介したい。

 Society 5.0の実現と環境リスクの調和的解決は、いっしょに統合的に考える価値がある。本シンポジウムでは、パネルディスカッションを通して今後の持続可能な社会のあり方を、課題解決型のアプローチの視点から協議したい。

パネルディスカッション「プラネタリーヘルス、環境リスク管理の視点から」

パネルディスカッションでは、基調講演ならびにパネリストの話題提供に関して以下の議論を含めて、活発な質疑応答がなされ、プラネタリージャスティスについての理解を深めました。

  • 気候変動に関する適応「伝統的な知」の活用が有用であるものの、急激な気候の変化に対しては十分でない、温室効果ガス排出側にも「伝統的な知」を活用して排出を抑えることが必要。
  • 生産者の人権問題に関する構造的不正義への対応の在り方について、サプライチェーンに対する政府の役割も重要ではないか、
  • 企業は製品開発を通じて市民セクターへの働きかけをして、価値観のすり合わせをしている。日本における市民セクターは弱いと言われるが、日本における製品に対するリテラシーと理解度は非常に高い。
  • プラネタリージャスティスに関する学術研究として、Evidence-based policyの観点から政策決定者に向けた研究、科学コミュニケーションの文脈では、世界全体で何が起こっているかを市民に理解してもらうということを目的とした研究ができるのではないか。また、研究を行い得られた結果の翻訳が重要ではないか。
  • 環境負荷に関する正義は、世界と日本との比較もあるが、所得水準、地理的分布、年代間の比較を考える必要がある。
  • 「正義(ジャスティス)」を「まっとうな公平さ」に読み替えると議論しやすいのではないか。科学者も生活者であり、研究者自らの行動も必要があると考える。若手がイマジネーションを拡げられる教育が必要。

 

(以上)